虹の足 見つけた
それは不吉なものだった。
凶事をもたらすとも、前触れだとも言われる。
そんなものを見て喜ぶのは、違う世界から来た望美たちと、彼女くらいだろう。
烏であるたちには、京の異常を調査させている。
その報告を受けるために隠れ家に来たヒノエを迎えたのは、戸の前で大口を開けて空を見上げている少女だった。
「ヒノエさま! 虹です、虹!」
挨拶も出迎えもなしに、ははしゃぐ。
礼儀を重んじる家系のはずだけれど、今はそんなことも吹き飛んでいるらしい。
こちらとしてはその方が気楽で良かったが。
部下に対してまで気を使いたくはない。
「嬉しそうだな」
ヒノエも少女にならって空を仰ぐ。
確かに五色の半円が、幻のようにそこにあった。
赤から藍の色の移り変わりが美しい。
先ほどまで小雨が降っていたからだろう。
今は眩しいほどに晴れ渡った青空に、虹は自己主張するかのように堂々と存在していた。
「だって、望美さんの話を聞いてから、ずっと見たかったんです!」
ウキウキと、は上機嫌だ。
「にしても、んな簡単に変わるもんか?」
価値観。固定観念。そう簡単には変えられないものだ。
烏はどんな知識も積極的に物にし、陰陽道にも通じている。
虹が何を意味するのか、知らないはずがない。
イザナギとイザナミが渡ってきたのも、同じ虹ではあったけれど。
「いい意味の方を信じた方が、楽しいですよ。
占いもそんなものだって、言ってました」
人差し指を立て、は得意げに語る。
すっかり望美流に染まってしまっているらしい。
熊野の別当としては複雑だが、自分もあまり人のことは言えないから、仕方がないか。
春風のように颯爽と現れた白龍の神子は、皆に様々な影響を与えている。
たとえば、虹についての逸話だとか。
「『虹の足元には宝物が埋まっている』」
彼は聞いた話を思い出しながら、呟く。
が待ってましたとばかりに笑みをこぼした。
「そんなことも言ってたよな。
単なる子ども騙しだろうけど」
「夢があっていいですよね!」
ヒノエは言い捨てるが、は楽しそうだ。
いつだってそう。この少女は、どんなことでも笑う。
彼が何かするたび、何か言うたび。何もしなくたって。
そうして無意識の内に周りを明るくする。
「まあな」
どうでも良かったが、笑顔を曇らせることはしたくなくて、頷く。
「私も探しに行ってみたいです」
空を仰ぎながら、は夢を見ているような表情をする。
放っておいたら一人でどこかに行ってしまいそうだ。
何にも囚われない鳥のように、今にも大空に羽ばたいていっていまいそうな、自由な心。
縛られるのを厭う烏らしい一面を、も持っている。
そのくせヒノエを主と慕っているのだから、不思議といえば不思議だ。
「今からか?」
からかうような笑みをたたえ、ヒノエは問う。
「ちょっと迷いますけど、もう消えちゃいそうですし。
また今度にします」
あごに手をやり、少しだけ逡巡したのち、そう答える。
言われてみれば先ほどよりも色を薄くした虹。
後どれくらいその姿を見ていられるだろう。現れるのも消えるのも気まぐれだ。
「あ、でも」
が何かに気づいたように、手を打つ。
ヒノエがそちらに目をやると、はにかむような笑み。
「探しに行かなくってもいいかもしれません」
彼をまっすぐ見て、言葉を紡ぐ。
「私の宝物は、ちゃんとヒノエさまが持ってますから」
大切なことのように、ゆっくりと告げる。
何のことを言っているのか、ヒノエには分からない。
「……オレが?」
「はい!」
力いっぱい頷かれる。
まったく、身に覚えがなかった。
「何にも預かってねえぞ」
元々、はきちんと自己管理ができているし、人に物を頼むことすらほとんどしない。
ましてやそんなに言うほど大事なものを預けるなんて。
ありえないと思ったし、記憶にもなかった。
「預けたりなんてしてませんよ。
元から、ヒノエさまが持っていたんですから」
謎かけのようなの言葉。
「意味分かんねえ」
考えても答えは出なくて、ヒノエは頭をかく。
彼が元から持っていたもの。
そんなものはいくらでもある。
熊野別当だ。所有物なんて自分でも把握できていない。
だが、その中にの宝物がある、というのにはなぜか納得ができない。
は物欲があまりないのだ。
町に出た土産にと、何かを買い与えようとしても、良くて菓子を受け取るだけ。
服や装飾品を贈れたことは数えるほどしかない。
「そう考えると、私にとっての虹はヒノエさまなんですね!」
何を思ったのか、能天気には笑う。
宝物を持っているから、宝物の埋まっている虹にたとえられたのか。
凶事の前触れであることはすっかり忘れさっているらしい。
「微妙なたとえだな」
「綺麗で、大きくて、いいじゃないですか!」
握りこぶしを作って、力説する。
何がにそこまでやる気を起こさせるのだろう。
「すぐ消えるのにか?」
面白くなって、ヒノエは意地悪な質問をする。
少女に是と答えられるはずがない。
「……それは困っちゃいます」
眉を八の字にして、本気で苦悶の表情を浮かべる。
少しからかいすぎただろうか。
ヒノエはの頭をくしゃっとなで回した。
「オレはオレだ。
虹なんかにたとえんじゃねえよ」
自分が自分であることが一番重要だった。
何者にもならない。何にも染まらない。
熊野を治める者として、公平な立場でいられるように。
「じゃあ、こっそりとそう思っているだけにします」
両の手のひらを合わせて、は言う。
口に出していたら、こっそりではなくなっているではないか。
分かっているのかいないのか、少女はふふっと声をもらす。
「まったく……」
毒気が抜かれ、ヒノエはため息をつく。
「ヒノエさま、ヒノエさま」
ちょんちょんと、袖を引かれる。
「虹、綺麗ですね」
もうほとんど消えかけている虹を指差し、少女は微笑む。
空と同化しかけている、存在すらも曖昧なそれを。
惜しむように、愛おしむように。
「そうだな」
自分にとっては、彼女とのこんな日常こそが、宝物だろうか。
そんなことを、ヒノエはぼんやりと思った。
宝物はきっと、鮮やかに輝く、虹色をしている。
二人で過ごす平穏な時こそが、虹の足元に埋まっている、宝物だった。
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「色彩夢祭」提出作品です。お題『虹色』。
虹についての知識はあやふやです。よく分からずに使ってます(笑)
京にいる間に、こんな日常があってもいいですよね。罪悪感だとか、後悔だとか、だけじゃなく。
つくづくほのぼの好きなみどりなのでした。
(2009/1/18)