一幕 別当
季節は冬。
烏のは今日も元気に仕事をして……いなかった。
「寒いです」
その言葉しか知らないように、繰り返し言う。
「寒いったら寒いです。
寒くて寒くて、氷になっちゃいそうです」
「寒いって、何度言ったかしらね?」
同じことしか言わない少女に問いかけるのは妙齢の女性。
烏名は鳴(めい)。
「まだ十八回しか言ってません」
「…………」
キパッと答える少女に、鳴は沈黙するしかなかった。
「寒いのは苦手なんです。
鳴さんだって寒いでしょう?」
寒さに声を震わせながら同僚に訴える。
けれど鳴は北風より冷たかった。
「熊野は暖かいほうよ。
仕事をやらずにこのまま凍えているのと、さっさと仕事を終わらせて温まるのと、どちらがいいかしら?」
「……仕事します」
凍えるだなんて考えたくもないは、観念するしかなかった。
「すみません。我がまま言っちゃって」
熊野の領民に聞いた話をまとめながら、は鳴に向かって謝る。
「いいのよ。
寒いと言える元気があるところが、あなたらしいのだから」
優しく笑顔を返してくれるが、少女はしゅんとうな垂れる。
寒いと言ったところで、何も変わらない。
それなのに文句ばかり言っていた自分が情けなくなってくる。
「仕事は好きなんですよ」
「ええ、分かっているわ。
やる気だけは人一倍あるものね」
少々棘のある物言いに、うっと声をつまらせる。
空回りしているのは百も承知だった。
「仕事は、好きです。
別当さまのために出来ることがあるのが、すごく嬉しいんです。
たとえ失敗したって、次はちゃんとできるように精一杯頑張りたいんです!」
は声高らかに宣言する。
彼のためならなんだって出来る。
心からそう思っていた。
「元気がいいのはの美点ね。
失敗の回数だって、いつかは減るわよ」
無くなる、といわないあたりが彼女らしさなのだろうか。
は嬉しくない慰めに気づかず元気に頷いた。
******
ここは本宮にある別当の部屋。
二十一代熊野別当の名は、藤原湛増。
弱冠ながら熊野をまとめ上げる手腕は見事の言葉につきる。
ヒノエと呼ばれることを好むが、理由は幼い少女にはまだ分からなかった。
「で、どうだった」
報告にきた二人は、熊野の現状を話す。
秋の不作が影響で、生活に困ったものが町を徘徊していること。
それにより、治安が悪化していること。
その一方で、宋との貿易は今も上手くいっていること。
参拝客と町民との間で一悶着あったことなどだ。
「そうか、分かった。
顔を上げていいぞ」
は言われた通りにして、別当の姿をじっと見る。
白に緑青、朱でつつじの重ね。
相も変わらず派手な服装をしているが、それが良く似合っていると少女は思う。
そこで、あることに気づく。
「別当さま……顔色悪いです」
明らかに、彼は青ざめていた。
「気にするな」
そう言われても無理だ。
具合が悪いのだろうか?
頭領の仕事が忙しいのだろうか?
それとも別の理由があるのだろうか?
の頭の中を色々な憶測が飛ぶ。
もしかしたらこの現状を憂えているのかもしれない。
「餓死者は?」
「今のところは出ていません」
鳴の凛とした声がの耳にも届く。
落ちつかなくては。
今はそれどころではないのだから。
悩んでいる様子のヒノエを見て、胸が苦しくなる。
熊野の民を一人も失いたくはない。
そう思っていることは明らかだった。
「打開策は考えておく。
下がれ」
「「はい」」
合図とともに二人は部屋を後にする。
「別当さま、大丈夫かなあ?」
「大丈夫よ」
「わあっ!!」
独り言に返事が返ってきて、は驚く。
「さっきから声をかけていたのに、心ここにあらずといった感じだったわよ。
あなたこそ大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んでくる鳴に、申し訳ない気持ちになる。
いつも、彼女には迷惑をかけてばかりだったから。
それに甘えてしまう自分がいた。
「私、平気です。
それより、別当さまが……」
先程感じた不安を鳴に話す。
別当の具合が悪そうに見えたこと。
気にするなと言ってはいたけれど、やはり気になった。
「別当さまなら心配することないわ。
より頑丈なんだもの」
「そ、それはそうかもしれませんけど」
答えになっていない答えに、戸惑う。
そういう問題なのだろうか?
「気にするなって言われたんだから、大丈夫よ。
別当さまだって自分の限界は知っているわ。
彼の言葉を信用しなさい」
優しく、さとすように鳴は言葉をつのる。
聞いているうちに、彼なら平気だと思えるようになってきた。
少女はこくんと頷く。
「よろしい!」
笑顔になると鳴は少し幼く見えるということに、は初めて気がついた。
******
次の日の朝、は寒空の下にいた。
空は明るみはじめたばかり。風は強く体を冷やす。
指先をこすり合わせて暖をとろうとして、向こうの方が騒がしいことに気づく。
あちらは本宮大社に通じる道だ。
何があったのだろうと行こうとすると、
「」
父の雁堆(がんたい)に声をかけられた。
「父さま」
「坊やめ、憎いことをしおる」
言葉とは違い、表情は穏やかだ。
「何が起きてるんでしょうか?」
両手に息を吹きかけながら、父に聞いてみる。
雁堆にはすべて分かっているようだった。
「ああ、食料を配っているのだろうよ」
「食料を!?」
思わず声を上げてしまう。
「ああ。昨日、備蓄はどれだけあるかと尋ねられてね。
熊野の蔵はそんなにやわではないと言ったのだよ」
笑みを崩さずに雁堆は答える。
そう返されたときの彼の、いたずらを見破られた子どものような顔が目に浮かぶ。
父は凄い人だとは思う。
さすがは先代の右腕。
嬉しいような、別当が可哀相なような、微妙な気持ちになる。
「やはりあの湛快の息子だな」
どこか誇らしそうにそう語る。
先代のことを名で呼べるのは、父一人に許された特権だった。
もっとも、先代が現役のうちはかたくなに呼ばなかったそうだが。
自分もいつか別当の信頼のおける片腕になりたい、と少女は思った。
「別当さまは、素晴らしい方ですから」
も誇らしげに言う。
彼はとても強く優しい。
熊野のためにいつも出来ることを探している。
そんな彼だからこそ、自分は仕えているのだ。
別当のために何かしたい。それがの願いで、望みだった。
町の様子を見てきたは、顔一面に笑みを浮かべていた。
『別当様も、わしらのことを考えておられるんですね』
『ありがたい、ありがたい』
『仮の住む場所まで提供してくださって、本当に助かってますだ』
みんな、笑顔を浮かべていた。
それは別当の策が成功した証だった。
彼のすることに間違いはないのだ。
「おい」
「へ!? え、あ……別当さま!!?」
急に上から声がしたと思ったら、赤い髪の少年が目の前に降ってきた。
身軽な彼が木登りを得手とするのはだって知っている。
今日は町へおりるつもりなのか、動きやすそうな服を着ていた。
「木の上から飛び降りるのは危険だって、父さまが言ってましたよ!」
驚かされた仕返し、というわけではなかったが、彼には効果があったようだった。
「あいつ……。どうせ親父にも同じこと言ってたんだろうよ」
面白くなさそうに呟く少年の顔色は、昨日ほど悪くはなかった。
「別当さま、すごいです!」
思ったままを口にしてみる。
けれど彼は首をひねる。
「何がだよ」
「町の人たち、みんな喜んでましたよ」
今さっき見てきた事実を伝える。
別当の目となり耳となる烏として、当然のことをした……つもりだった。
けれど。
「そうか……。ありがとな」
礼を言われるようなことなどしていないというのに、それでも彼は笑顔で言った。
『ありがとな』
何にも勝るねぎらいの言葉だった。
良かった。
嬉しそうに笑う少年を見て、少女は思う。
本当に良かった、と。
******
「え!? 鳴さん、京に行っちゃうんですか?」
「ああ、様子を見にいってもらう」
別当は平然と言う。
隣にいる鳴は申し訳なさそうにしている。
は行ったことがないから知識でしか知らないが、京は重要な場所だ。
政治の中心地なのだから。
都落ちした平家、木曾と源氏の争い。
事態は刻々と変化している。
「えっと、風邪を引かないように気をつけてください」
頭の整理ができていないまま話すと、二人が笑い出す。
「普通、もっと違う言葉があるだろ」
別当は腹を抱えてそう言う。
もしかして、間違ったことを言ってしまったのだろうか?
「あ、あの……私、変なこと言いました?」
「ふふ、いいえ、らしいわ。
これなら心配なさそうね」
いまだ口元に笑みを浮かべながら、彼女はふっと息をはく。
白く残った吐息を見ながら、は他にもある心配事を胸の内にしまう。
戦に巻き込まれないように。
危険にさらされないように。
心の中で願っておくだけにした。
「行ってくるわね」
そう言った彼女に、
「頑張ってきてください。
私、応援してますから」
少女は精一杯の笑顔で応えた。
いつもと変わらない毎日が続くと、そう思っていた。
少しづつ動く運命に、少女はまだ気づいていなかった。
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熊野を大切に思う気持ち。
少年と少女の立場。
オリキャラ出さないと話が進まないのは、技量が足りないからですね……。
(2006/10/7)