一一幕 月影




 鳴が帰ってきたのは、日がかたむきかけた頃だった。
 はヒノエとの約束どおり彼女にお礼をし、夕餉を食べて床につく。
 けれど、なかなか眠れなかった。
 少女は鳴を起こさないよう、体にかけていた単を頭からかぶり、そっと外に出る。
 春といえど夜は寒い。
 冷たい風に体をふるわせ、夜空を仰ぐ。
 墨をひっくり返したような暗い空に、輝く満天星。
 やわらかい光を放つ月は二夜ほど欠けていた。
 立待月。まさに今の自分がそうだった。
 昼間のヒノエとのやりとりを思い返す。
 菓子を食べ終わり、茶を飲みながら残りの八葉と二人の神子の情報を話した。
 その後。
 『お前にやってほしいことがあるんだ』
 そうきり出した彼は、真剣な顔をしていた。
 『私にできることなら、なんでも言ってください!』
 とにかく役に立ちたいと思っていたは、体を乗り出して言ったのだ。
 ヒノエはその様子に笑みを浮かべた。
 『白龍の神子に――』

?」
 突然聞こえた声に鼓動が跳ねる。
 少女はあわてて振り返る。
 そこにいたのは、鳴だった。
「こんな夜中に、どうしたの?」
「か、考え事です」
 心を落ち着けながら、は答える。
「そう?
 もし悩みがあるのなら、言ってちょうだい」
 穏やかな笑顔に、負担がふっと軽くなる。
 言ってしまおうか?
 『鳴さんにはこのことは?』
 『別に隠す必要はねえ』
 あいつなら誰にももらさないだろうしな、と彼は言っていた。
「鳴さん、実は……」
 ヒノエに言われたことをすべて話す。
 託された策。任された責任を。

「……そう。
 それは大変なお役目ね」
 最後まで静かに聞いていた彼女が、の頭をなでてくれる。
 なされるがままになっていると、なぜだか安心した。
 それはヒノエの笑顔を見たときや、頭を優しくたたかれたときのようだった。
 彼と鳴は案外、心根が似ているのかもしれないと少女は思う。
「不安なんです。
 もし失敗しちゃったら、って」
 そうしたらきっと、迷惑をかけることになる。
 もともとは嘘をつくことが得意ではなかった。
 白龍の神子たちをだませる自信がない。

「やらなくてもいいのよ?」
「へ?」
 かけられた言葉に目を丸くする。
 やらなくていい?
 彼が言ったことなのに?
「これはヒノエ様の独断よ。
 熊野のため、というわけでもないわ」
 鳴の言わんとしていることが分かった。
 熊野の烏は熊野の頭領に仕える。
 つまり、熊野別当としての命令でないものは聞く必要がない、ということ。
 それでも、とは首を横に振る。

「でも私、ヒノエさまの望みを叶えたいんです。
 そのためにできることがあるなら、やりたいです」

 まっすぐ鳴の瞳を見て言いきる。
 ヒノエの望みが少女の原動力。
 彼のためならなんだってしたい。
 と考えて、それこそが答えだと気づく。
 鳴が微笑みを浮かべる。
「なら、がんばりなさい。
 でも忘れないで。私はいつだってあなたの味方よ」
 包み込むように抱きしめられる。
 伝わってくる体温に落ちつく。
「ありがとうございます」
 は笑顔で礼を言う。
 彼女の心づかいが嬉しかった。
 がんばろう、と素直に思えた。

 鳴が体を離す。
 暖かかった人肌が遠のき、夜風の冷たさが戻ってくる。
「……寒いですね」
 寒さは嫌いだった。
 少女を可愛がってくれた伯母の亡くなった日を思い出すから。
 独りぼっちなことを自覚させられるようで。

 大丈夫。一人じゃない。
 今は、彼がいる。

 ヒノエはまた明後日に来るという。
 計画どおりにいけば、が接触する日の夕時。
 それまで神子たちの前では、他人のふりをしなければならない。
 また、胸が痛む。
 この気持ちがなんなのか、幼い少女には分からなかった。
 そんなを知ってか知らずか、鳴は穏やかに笑む。
「中に入りましょう。
 白湯でも出すわ」
「はい」
 返事をして、もう一度空を仰ぐ。
 皓々たる月が、少女を見守るように輝いていた。



 闇夜を照らす立待月。
 待つのは月か、彼の人か。








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 そこかしこに謎を残す終わり方、のつもり。
 鳴さんがいい味を出していればいいのですが。
 次回、こうご期待。
(2007/2/1)