一二幕 接触




 春の陽射しの温かい、のどかな日のこと。
 望美たちは鞍馬へと向かっていた。

「今日も洗濯物が良く乾きそうだね〜」
 景時の言葉に望美は笑みをこぼす。
 朔はため息をついて、自らの兄を睨んだ
「兄上、今日は結界を解いてもらわなければいけないのよ?
 そんなのんきなことを言っていられては困ります」
 にらまれた景時はへらっとしたままで、
「平気平気♪
 そういうのは得意だって言ったでしょ?」
 と朔に笑いかける。
「平気なように見えないから心配なんです」
 またため息をもらす姿が本当に不安げで、望美は彼女の肩に手を置く。
「景時さんに任せておけば大丈夫だよ。ね?」
「望美……。
 そうね、考えすぎなのかもしれないわ。
 兄上も一応は陰陽師だものね」
「そうだよ!」
 自分を納得させるように呟く朔に笑顔で頷けば、やっと彼女も笑みを浮かべる。
「ありがとう、望美」
「どういたしまして!」
 元気に返しながら、考える。
 景時は結界を破ることができるが、そこに先生はいない。
 けれどそれは、九郎が実際に見なければ信用しないだろう。
 何度目かの春の京。
 今回いつもと違うのは、ヒノエが仲間になったことだろうか。
 まだ春のうちは平和な日々を過ごしていられる。
 けれど、確実に戦は起こる。
 そのときのために、源氏で信用を得なくてはいけない。

 と、思考していた望美の袖を引かれる。
「なに?」
 白龍かと思って振り返った先には、見知らぬ少女。
 小柄なポニーテールの可愛らしい女の子だ。
「ねえ、さま……?」
 大きな茶色の瞳を目いっぱい見開いて、夢見心地のように呟く。
「姉さま!!」
 いきなり抱きついてくる少女をなんとか支えながら、望美は動揺を隠せないまま口を開く。
「あのね、私あなたのお姉ちゃんじゃないよ?」
 それどころかこの世界の人間ではない。
 異世界から来たのだから。
 けれど少女の腕の力はゆるまない。
「私のこと、忘れちゃったんですか!?
 戦の中ではぐれちゃってから、ずっと探してたのに……」
 戦、と聞いて気づく。
 この子は宇治川の戦いで姉を見失ってしまったのだ。
 ということは、姉は生きていない可能性が高い。
 その事実に望美は顔をゆがめる。
 けれどこのまま自分を姉だと思わせてはおけなかった。
 小刻みに震えている少女の肩を押し、体を離す。
「人違いだよ。
 私は春日望美っていうの」
 笑いかけると、綺麗な瞳を瞬かせた。
「かす……が、望美……?」
「うん!」
 少女は困ったような表情を浮かべる。

「姉さまじゃないの?」
 今にも泣き出しそうな声に、望美が泣きたくなってきた。
 とても悪いことをしているようだ。
 少女はやっと我に返ったのか、目を丸くして望美を見る。
 そして、思いきり頭を下げた。
「す、すみません!!
 私すごい勘違いしちゃって……!」
 あまりの勢いに驚いて、一瞬動けなくなる。
「あ、いいよいいよ!
 大丈夫だから、頭を上げて?」
 手を振ってそう言うと、少女はようやく顔を見せた。
 恥ずかしそうに頬を染めてもじもじとしている姿が可愛らしい。
「本当にすみません。
 そうですよね、姉さまがいるはず……ないですよね」
 寂しそうな笑みに胸を打たれる。

「あのさ、私はお姉ちゃんじゃないけど、友だちにならなれるよ?」
 口をついて出てきた言葉。
 あまりにつらそうな表情をするから。
 少しでもその悲しみを消せるなら、と思った。
「六条櫛笥小路の梶原邸って分かるかな?
 そこにいるから、いつでも遊びに来てくれていいよ」
「望美……?」
 困惑をにじませた声で名を呼ばれ、望美は振り返る。
「朔、景時さん、いいかな?」
 事後で悪いと思いながらそう確認をした。
「え、ええ」
「オレはかまわないよ〜」
 朔が断れるわけなく、頷いてくれる。
 景時も扱いに悩んでいたようだが返事をしてくれた。
 それを聞いて望美は笑顔で少女に向き直る。
「名前はなんて言うの?」
 驚いた様子の少女はそれでも、、と呟いた。
、これからよろしくね!」
 こうして望美に新たな友だちができたのだった。


 ******


 夕刻、鳴の隠れ家。
「良くやったな」
 訪れた者はそう言って頭をなでてくれた。
 それだけでは、今日の苦労はむくわれたと思った。
 『白龍の神子に近づけ』と言われたときは、どうしていいか分からなかった。
 作戦を聞いて、自分にできるのか不安だった。
 けれどこの言葉を聞くためにがんばったのだ、と少女は幸せをかみしめる。
「役に立てて良かったです!」
 笑顔で言うと、ヒノエも笑みを返してくれる。
 この表情を見たかったからがんばれた。
 けれどどこか陰って見えるのは、なぜだろう?
「何かあったんですか?」
 言葉に出すとさらに不安になる。
 一体、何があったというのだろう?
「……鳴は?」
「今日は大原まで行くって言ってました」
「そうか。なら、かまわねえな。
 オレが龍神の神子を信じてなかったのは知ってるよな」
 ヒノエはようやく話し始める。
「はい。なんとなく」
 そう、彼は最初は信じていなかった。
 あくまで噂だと言っていたのを覚えている。
「その理由は分かるか?」
 問われて、鳴の言葉を思い出す。
「熊野神を信じているから、ですか?」
 言った途端、ヒノエは顔をしかめた。
 睨まれてはきょとんとする。

「……それを言ったのは鳴か?」
 低い声で尋ねられたので、
「はい!」
 元気に頷く。
 少女の耳は『ちくしょう』という小さな呟きを拾ってしまった。
 少し機嫌が悪そうだが、どうかしたのだろうか?
「ま、それもある」
 彼は憮然としながら語る。
「けどな、それだけじゃない。
 聞いた話だけで判断するわけにはいかねえ。
 京の様子だってそうだ。
 実際に見なきゃ、分からないものもある」
 ヒノエが京に来た理由は、様子を見るためだと言っていた。
 ついでに白龍の神子の噂の真相も確かめようということだった。
 これからの情勢にどのような影響をおよぼすのか、が重要な事柄だった。
「実際に見て、どうだったんですか?」
 彼はもう話しているし、一緒に行動までしている。
 それでも信用できなかったのだろうか?
「可愛い女だと思ったさ。新鮮でな。
 嘘をついてるって感じはしなかったが、簡単に信用もできなかった。
 人はつく気がなくても嘘をつけるもんだからな」
 と、話を一度切る。

「……今日までは、な」
 呟かれた言葉に、なら、とは思う。
 なら、信じることができたのだ。
 白龍の神子を頭に浮かべ、良かったと息をつく。
 八葉に信じられていないだなんて、悲しいだろうから。
 友だちになろうと言ってくれた優しい彼女に、つらい思いをしてもらいたくなかったから。
 ヒノエは続ける。
「リズ先生ってヤツを探しに、鞍馬に行ったんだ。
 で、その帰りに怨霊に出くわした」
「ええっ!!?」
 驚いて思わず大声を上げてしまう。
「そ、そんな、大丈夫だったんですか!?」
 あわてるを、何か面白いものを見るような目で見て、ふっと笑う。
「大丈夫じゃなきゃここにいねえだろ」
 言われて、確かにそうだと気づく。
 けれど負傷くらいはしたのでは、とヒノエをじーっと観察するが、その様子はない。
「怪我なんてしてねえよ」
 視線で分かったのかそう言って、安心させるように頭を軽く叩く。
 それにやっと不安が消える。
「どうしたんですか?」
「神子姫様が封印なさったよ」
 わざとおどけた風をよそおう。

「だから、噂は真実だった。
 間違いなく望美は白龍の神子だ」

 そう言いきった。
 彼は『いざとなれば怨霊の前に誘い込む』と語ったことがあった。
 それが本人の予期せぬときに現実になってしまったのだ。
 結果的には、良かったのだろう。
 ヒノエは神子を信じることができ、怨霊は清浄な気に混じった。
 けれど、一歩間違えれば危険な目に合っていた。
 そう思うとは怖くなる。
 目の前にいる少年が、巻き込まれるであろう運命に。
 八葉。
 その責務のつらさ。
 彼に課せられた役割は、あまりに重い。
 心配になる。
 ヒノエは責任感が強いから。
 託されたら最後までやりとげると知っている。
 だからこそ、不安だ。
 苦しくても我慢してしまうから。
 痛さを無視して、ずっと前だけを見ているから。

「大丈夫ですか?」
 心配でつい訊いてしまった。
 彼は目を瞬かせて、それから。
「大丈夫だ」
 と笑って言った。
 その言葉に一応は納得して、も笑顔になる。

「何かあったら、言ってくださいね!
 私、べっ……ヒノエさまの役に立ちたいんです!!」
 それが少女の望み。
 だから今日、あんな演技をしたのだ。 
 彼のためならなんだってできる。
 たとえ、龍神の神子を――神をだますことになろうとも。
 ヒノエが任せてくれた役目ならば、喜んで引き受ける。
 彼のくれる優しさを少しでも返したいから。
 役に、立ちたいから。

「ああ、これからも言ったとおりにしろよ」
「はい!」
 は大きく頷く。



 少女も、少年も、盲目的だった。
 小さなひずみはこのとき生まれたのだった。








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 ふふふ、ついにこの連載の目的の一つにたどり着きました!
 神子さまとのゆがんだ出会い方〜♪
 これからどんどん切なくなっていきますね。
(2007/2/13)