一三幕 主従
『望美に近づいて情報を得ろ』と言われた唯衣は今日、梶原の京邸に向かっていた。
いつでも遊びに来ていいと言われていた。
それを利用するのは気が引けたが、これもヒノエのため。
仕方ないことなのだと、心の中で彼女に謝る。
六条櫛笥小路、京邸。
「あの、鶯と申すものですが……」
ヒノエは、神子が門兵に話を通していたと教えてくれた。
唯衣はおずおずと声をかける。
「話は聞いています。
どうぞ」
無骨そうな人が案内をしてくれる。
門を抜けると、綺麗な庭があった。
名残の桜に咲き誇る木蓮。
花の甘い香りがただよってくる。
風情は良く分からなかったが、趣味のいい庭だと思った。
「あ、鶯!
いらっしゃい♪」
白龍の神子が迎えてくれる。
その笑顔に、その呼び名に、胸が締めつけられる。
鶯と名乗ったのは、ヒノエにそう言われたからだった。
烏とはもともと、情報を得るために隠密行動を取ることが多かった。
烏名とはそのときに使う名。
人によってはいくつも持っている者もいた。
今回の任はあくまで情報収集。
だから、そう名乗ったのだ。
ヒノエのため、と割りきったこと。
けれど胸は痛んだ。
「鶯、どうかした?」
心配そうに覗き込んでくる。
親切にしてくれるだけ、つらくなった。
「なんでもないんです。
大きな家で、ちょっとびっくりしちゃって」
ふう、と息をはいてそういうと、望美は笑い声を上げる。
「あはは、そうだよね!
私も最初は驚いたもん」
うんうんと頷く。
その様子にわざと首をかしげる。
「え、望美さんって、この家の人じゃないんですか?」
分かっていたけれどそう訊いた。
自分が知っていることと、『鶯』が知っていることは違うのだ。
「うん。私はお世話になってるだけなんだ。
……白龍の神子、って知ってるかな?」
重要な話題に心の中でかまえる。
「あ、はい。
少しだけなら」
「私がその白龍の神子なの」
唯衣は目を丸くする。
ここは驚かなければいけないところだ。
「え、ええっ!!
伝説だったんじゃないんですか!?」
ヒノエに初めて話を聞いたときのようだ、とのんきに思った。
「ちっちゃい男の子、分かるかな? あれが白龍。
んで、髪の短い女の人が黒龍の神子。
他の男の人たちが、私を守んなきゃいけないらしい八葉なんだけど」
次々と説明してくれる望美に唯衣は絶句した、ふりをした。
演技をするというのはなかなか難しい。
本当のように見せなければならないのだから。
しかも相手は白龍の加護を持つ女性。
気づかれるわけにはいかないから、唯衣はあまり話さないようにする。
あまりの出来事に驚いているように、見えればいいのだけれど。
「みんないい人たちだから、ちゃんと紹介したいな。
鶯もきっと仲良くなれるよ!」
満面の笑みを向けられて、罪悪感でいっぱいになる。
けれど、感動しているかのような顔をなんとか作った。
「……ありがとうございます。
本当に、なんてお礼を言ったらいいか」
深く頭を下げる。
このまま顔を合わせたくない。
「お礼なんていらないよ。
友だちなんだから!」
肩にそっとふれてくる。
温かいぬくもりに涙がこぼれそうになる。
泣いてはいけない。
幼い約束は今も残っているから。
「そうすれば、鶯も寂しくないでしょ?」
彼女は唯衣を気づかってくれている。
本心からの言葉だからこそ、少女の胸は苦しめられる。
泣きそうな表情で頭を上げる。
「望美さんに会えて、良かったです」
本当は、違う。
こんな形で会いたくなんてなかった。
後ろめたいことが何もなければ、『友だち』という言葉に頷けたのに。
優しくさせればされるだけ、つらくなる。
自分はこの人を騙している。
その事実が、胸に突き刺さる。
痛い。苦しい。
何度、心の内で謝ったことか。
許されるはずはない。
けれど、謝らずにはいられない。
申し訳なさでいっぱいになりながらも、それでも唯衣は芝居を続ける。
ただ、ヒノエのために。
自分が望んだことなのだから。
「今日は何して遊ぼうか♪」
嬉しそうに言う彼女についていって、部屋に入る。
望美が京邸で与えられたところだそうだ。
朔や白龍が来て、一緒にお話をした。
貝合わせをし、絵巻き物を見た。
楽しい時間を過ごすほど、罪悪感はふくらんでいく。
すみません。
と、少女はもう一度心の内で謝った。
******
空が茜に染まる時分、京邸を出て、歩く。
小屋に戻ればもうきっとヒノエがいることだろう。
数日に一度の報告の日。
早くしなくては、と自然と駆け足になる。
唯衣は今日のことをかえりみる。
白龍の神子は本当にいい人だ。
自分のことを心から気にしてくれている。
負い目を感じながらも、一緒にいて純粋に楽しいと思えた。
黒龍の神子は穏やかな人だった。
鳴を思わせるような気配り上手な女性。
ふとしたときにかげる表情の理由は、少女には分からなかった。
戦奉行である梶原景時はとても気さくな青年だった。
鎌倉殿の快刀と言われる人物だとは一見、思えなかった。
ただやはり目利きは優れているらしく、唯衣に隠微な探りを入れてきた。
油断は大敵ということだろう。
有川譲とは面識があったために、少し驚いていたようだった。
『怪我のことは秘密にしておいてくれ』と告げられたのは、帰り間際のこと。
どうやら白龍の神子が好きらしい彼は、見ていて微笑ましかった。
白龍はとても無邪気だが、どこか人とは違う清浄な気を発していた。
やはり龍神なのだろう。
幼子のような姿だというのに、唯衣はひれ伏したい心持ちになった。
熊野の者はみな信心深い。特に、烏は。
烏とは神に仕えるもの。
熊野神の御使い、八咫烏からきているのだから。
本来なら、望美のことを名前で呼ぶのも気が引けるのだ。
けれど白龍の神子さま、と言うわけにはいかない。
『友だち』なのだから。
「少し、よろしいですか?」
かけられた声に一瞬、体がこわばる。
後ろを取られたと急いで振り返った先には黒い姿があった。
底知れぬ笑みを浮かべる青年。
名を、武蔵坊弁慶という。
少女が反応する前に仕掛けてこなかったということは、危害を加えるつもりは今のところないのだろう。
そのことに気づかれぬよう息をはく。
けれど得物の薙刀は持っている。
いつ牙をむくか、分からない。
完全に油断していた。
ここはもう五条大橋を渡ったところ。
隠れ家に近いから、寂れていて人気はない。
「お時間はありますか?」
微笑みを見て、唯衣は本当に違うと思った。
兄である湛快と顔の造形は似ているはずなのに。
全然、違う。
「少しなら、平気ですが……。
本当に少しですよ?
近頃いろいろと物騒ですから」
あくまで困ったように、苦笑して言う。
演技をやめるつもりはなかった。
それが目的なのだろうから。
化けの皮をはがすことが、彼のもくろみ。
「ええ。そんなに時間は取らせませんよ。
いくつかお尋ねしたいことがあるだけですから」
来た、と少女は身構える。
何を訊きたいのか、そんなことは分かりきっていた。
唯衣は怪しすぎるのだから。
「君は何か企んでいるのでしょう?
望美さんにあんな近づき方をして、疑われないと思いましたか?」
言って弁慶はすぐに、ああ、と声をもらす。
「望美さんは信じているようでしたが」
彼女は優しいですからね、とため息をつく。
坤の卦、地の朱雀。
この男も八葉の一人として白龍の神子を想っているのだろう。
それが見て取れた。
「君の大計を教えてはもらえませんか?
僕なら手助けができるかもしれない」
嘘だ。
甘い条件を出して、話を聞き出す。
情報収集の常套手段だった。
烏として幼いころから叩き込まれていた唯衣が、引っかかるはずがない。
「あの、何のことでしょうか?
言っていることが良く分からないんですが……」
意味が分からない、とばかりに首をかしげる。
その様子に弁慶はにっこりと笑う。
正直、薄気味悪い。
「しらを切っても無駄ですよ。
君の正体は分かっていますから」
言われて始めて少女は動揺する。
そんなはずはない。
跳ね上がった鼓動をなんとか静めて、男を睨む。
「正体だなんて、悪者みたいな言い方はやめてください」
青年は臆することなく微笑んでいる。
「すみませんでした。
なら、素性を知っている、と言えばいいかな?」
ありえない。
そんなこと、あってはいけない。
ヒノエの計画が狂ってしまうかもしれない。
少女はそれを恐れた。
困惑をよそおってはいるが、内心では怯えていた。
完全に余裕を失っていた。
「君は熊野の烏でしょう。
名前は……唯衣、だったかな?」
当てられた。しかも、名前まで。
最悪の状況だ。
ここから逃げることも考えるが、その案はすぐに消える。
唯衣は任されたのだ。他ならぬヒノエに。
逃げるなどできるはずがない。
「あの、何のことだかさっぱり分からないんですが……」
眉を下げて、すまなそうに言う。
すると弁慶が困ったような顔をする。
「あくまで知らぬ存ぜぬを通すつもりですか。
意外と強情な人だ」
急に声が低くなり、少女は体を揺らす。
空気が変わった。
陰鬱なよどんだ気が辺りに漂う。
「僕としてはあまり非道なことはしたくないんですが。
そう強固な態度を取られては、仕方ないことなのかもしれませんね」
大げさにため息をはいて、笑みを浮かべる。
怖い。
脅しだと分かってはいても、足が震える。
人気のない道、暗くなってきた空。
経験の差に体格の違い。唯衣など一ひねりだ。
それでも、退くわけにはいかない。
胸元の小刀に指の先でふれる。
いざというときは一太刀でもあびせてやりたい。
「君が話してくれるというなら、それなりのお詫びをしますよ?」
つまりは金品を握らせるということだろう。
冗談じゃない。
彼を裏切ってまで得たものに、なんの価値があるというのだろう。
「あなたの言うことなんて聞きません」
きっぱりと告げた。
少女はヒノエにしか従わない。
他の誰にも頭を垂れることをしない。
小さな、子どものころから。
主はただ一人だった。
父が先代にしか仕えなかったように。
けして二臣にまみえない。
「……そうですか。
では――」
と、弁慶は袈裟をひるがえして背を向ける。
へ?
「今日のところは諦めます。
では、お気をつけて」
顔だけ振り向いてそう言い残し、彼は去っていった。
完全に姿が見えなくなると、唯衣はその場に力が抜けたように座り込む。
長い間緊張していた衝動からか、体が言うことを聞かなかった。
手のひらを見ると、いまだ指先が小刻みに震えている。
それだけ恐怖だったのだ。
怖かった。
けれど、無事に済んだ。
弁慶はきっとまた、そそのかしに来るだろう。
それでも今回は平気だった。
このことを主に報告することができる。
それが嬉しいと感じた。
ヒノエの役に立つことこそ少女の生きがい。
役目を一つ果たすことができる。
そのためにはまず、隠れ家へと戻らなければ。
うまく力の入らない足で無理やり立つ。
砂ぼこりを払い、小屋へと続く道を駆け足で進む。
疲れただなんて言ってはいられない。
早く、彼の元へ――。
ただ一人の、主。
少女にとって大切で、重大で、……必要な存在だった。
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弁慶こわ~。と思ってもらえれば嬉しいのですが……(ひかえめそうな笑み)
書きたかった対立シーン! 弁慶さん大好き!!
いつもより力が入っている気がするのは、気のせいじゃありません。
(2007/2/25)