一四幕 理由
「遅かったな」
隠れ家に帰ると、ヒノエが待っていた。
疲れたは倒れ込むように座る。
「すみません、ヒノエさま。
例のお相手をしてたもので」
暗に弁慶の探りがあったことを告げる。
彼の睨んでいたとおり、餌に食いついてきたのだ。
「そうか、どうだった」
問われて、先程の会話を語る。
彼は始終笑みを浮かべて聞いていた。
の正体と名を知っていたことも、想定の範囲内だったらしい。
すべて話し終わると、ヒノエが口を開く。
「やっぱ、なんか企んでやがったな」
読みが当たったぜ。と、にやりと不敵に笑む。
「みたいですね」
少女も相づちを打つ。
何かはかりごとがなければ、ここまでの行動はしない。
つまりは、隠している計略があるということ。
それがどんなものかはまだ分からない。
あの何を考えているかまったく読めない笑みの内に、秘められた策。
にとってはどうでも良かったが、彼にはそうではないらしい。
白龍の神子にあんな派手な接触の仕方をしたのは、弁慶にけしかけるためだった。
情報収集はヒノエだけで事足りるし、聞き出すのなら京邸の使用人となった方が穏便だ。
他にも手はいくらでもある。
それをわざと怪しまれるようなことをしたのは、これを待っていたからだった。
「めちゃくちゃにしてやる」
玩具を見つけた子どものように瞳を輝かせる。
いつも負かされている相手に一泡吹かせてやろう、と思っているのは明白だった。
その様子には首をかしげる。
そんなことをして何になるというのだろう?
意味のない行為のように見える。
いや、彼のことだから、少女には分からない何かがあるのかもしれない。
「なんでそんなことするんですか?」
いつものように訊いてみる。
こうするとヒノエは必ず、正しい答えをくれるのだ。
「あ?
別に、オレが楽しいだけだ」
「楽しいって……」
どうしてですか? と言う前に彼は口を開いた。
「あいつの困った顔を見てみたくてな」
にやっと、楽しそうに笑う。
つまりヒノエは、弁慶の困り顔見たさに一連の所業をせしめたのだろうか?
ふと、鳴の言葉を思い出す。
『これはヒノエ様の独断よ。
熊野のため、というわけでもないわ』
こういうことだったのだろうか、と疑問に思う。
彼女はヒノエの考えを見破っていたのだろうか?
は分からなくなる。
彼のすることは、いつでも正しいことだと思っていた。
間違うことなんてない。
優しくて温かい主は、完璧なのだと。
それは違ったのだろうか?
「これからもがんばってくれよ、」
そう言っていつものように頭に手を乗せる。
ぬくもりに安心することは、なぜかできなかった。
「はい」
返事をしながらも、少女の頭の中には疑問符が浮かんでいた。
******
その話を鳴にしたら、一笑されてしまった。
「当たり前じゃない!」
くすくすと笑いながらそう言われた。
訳が分からなくなって、は顔をゆがめる。
「そんな顔をしないで、。
あなたは悪くないの」
彼女は優しく声をかけてくれる。
「ただ、ヒノエ様に幻想をいだいているのだと思うわ。
彼も人間なのだから、完璧なわけがないのよ」
さとすような穏やかな声音に、少しずつ落ち着いてくる。
鳴の話に静かに耳をかたむける。
「それは当たり前なことなの。
けれどは、彼のいいところしか見ていないから、誤解してしまったのよね?」
「いいところ、ですか?」
分からないところを聞き返す。
「ええ。
ヒノエ様はあなたにいいところしか見せようとしないから。
……格好つけたいのね」
そう言われても、いまいち理解できなかった。
どうして格好つける必要があるのだろう?
首をかしげていると、彼女は苦笑する。
「彼はのことを気に入っているから」
少女は目を丸くする。
「あら、気づいていなかったの?
一目瞭然じゃない」
あっけらかんとして言う。
気に入られて、いる?
いつもため息をつかれている自分が?
そんな風には思えない。
鳴はさらに続ける。
「優しいところや強いところしか見ていなかったから、勘違いしてしまったのよね。
彼は間違ったことをしない、完璧な人間なんだって」
はこくんと頷く。
今も勘違いなのかどうか分かってはいなかった。
「――、『ヒノエ』って名前を彼がどうして好むか、知っている?」
彼女は急に話を変える。
「いいえ。知りません」
素直にそう答える。
不思議に思っていたことではあったが、理由は分かっていなかった。
「彼は熊野別当に縛られているの」
鳴はあくまで穏やかに語る。
「生まれてから一度も、彼が熊野別当の名から逃げられたことはないわ。
先代様の跡を継ぐのは決まっていたのだもの」
「ヒノエさまは、熊野別当なのが嫌なんですか……?」
訊いてしまってから、後悔する。
肯定されたらどうしよう?
が好きなヒノエは、熊野の頭領である彼だ。
熊野を大切に思っている温かいまなざしが好きなのだ。
緊張で胸の鼓動が早鐘を打つ。
答えを聞くのが、怖い。
けれど彼女は首を横に振る。
「そうではないわ」
否定されて、ほっと張りつめていた息をはく。
良かった。
見捨てられたわけでは、ないのだ。
「そうではないのだけれど、たまに……疲れてしまうのよ。
重い役職だから」
鳴は苦笑いを浮かべる。
何かを諦めたような、そんな表情だった。
「たとえば私たちには烏になったときに与えられた名があるわよね?」
その問いにこくんと頷く。
烏名のことだ。
彼女の『鳴』。の『』。父は『鴻』だった。
成人前から訓練をし、烏と認められたときに名をつけられる。
俗称のせいか、鳥の名にちなむことが多いようだ。
「烏名には烏の任の重さが含まれているの。
名前を授かるとは、そういうことよ」
真剣な面持ちで鳴は言う。
少女も知っていたので、相づちを打つ。
烏の役目の重要性。
のように幼いことから烏の中で育つものは、本名で親しげに呼ばれることが多かった。
けれどそれでも名の重さは理解しているつもりだった。
そこまで考えて、はっと気づく。
「もしかして、名前で呼んだほうがいいですか?」
『鳴』と聞くたびに役割を思い出し、つらくなったりはしないのだろうか?
そう尋ねるが、いいえ、と鳴は笑う。
「心配しなくて平気よ。
結構、気に入っているの」
ほっと息をつく。
これまで嫌な思いをさせていたのではないかと不安だったのだ。
そうではないと言われ、安心した。
「でもね、ヒノエ様は逆なのよ。
本来の名に、責務がのしかかっているの。
私たちよりもずっと重い役割が」
笑顔をくもらせてそう語る。
彼女を見ていると、それが本当につらいことなのだと良く分かった。
「だから、偽名を使うのよ。
先代様もそうだったわ。良く名を偽って町へ下りていらした。
これは烏ならみんな知っていることよ。
はまだ幼いし、彼に幻想を持っていたから気づかなかっただけ。
仕方のないことなのよ、これは。
自分の名は熊野別当に縛られているから」
つまりヒノエは、熊野別当に疲れると偽名を使って町に下りる、ということか。
町で何をするかは見たことがあるから知っている。
女性に声をかけたり、買い物をしたり、海沿いを歩いたり。
気晴らしなのだろうと、なんとなく思ってはいた。
立場のある人なら、確かに疲れてしまうこともあるのかもしれない。
には想像することしかできないが、自分ならつらくて逃げてしまいそうだ。
それをせずに、たまに偽名を名乗るくらいなら許されると思う。
なら、と少女は口を開く。
「私、熊野に帰ってもヒノエさまって呼び続けます」
その方が嬉しいのなら、それで少しでも気が楽になるのなら。
「そうね」
鳴は優しく微笑んだ。
と、まだ解決していないことがあった。
ヒノエが完璧ではないのかどうか。
は物事を分からないままにしておくことができない性分だった。
そんな様子を見て取ってか、彼女の方が先に告げる。
「彼にもそんな弱さがあるのよ。
完璧じゃないと、理解できた?」
その問いに、少女は困る。
ヒノエはいつでも優しくて、温かくて、強くて、賢くて。
熊野のために力を尽くし、熊野のことを第一に考えていて。
少し弱いところがあっても、熊野だけを思っているわけではなくても、完璧ではなくても、やはりにとっては特別だ。
彼は絶対に熊野別当から逃げない。
そんな安心感が、心のどこかにあるから。
「私にとっては、特別です」
少女はそう言いきる。
これは揺るがない事実だ。
「熊野別当だから?」
「はい」
はっきりと返事をする。
は熊野別当である彼が好きだった。
「――そう。
私が前に考えた方がいいって言ったこと、覚えているかしら?」
そう問われて、記憶の中を探る。
「どうしてヒノエさまを想うのか、ですよね」
あれからずいぶん考えたが、答えらしい答えは出なかった。
優しくしてくれるから。一緒にいると幸せだから。熊野別当だから。
それらはどれも正しくて、けれど本当の答えではない、と感じた。
「それと、また問題を出すわ。
もしも彼が熊野別当ではなかったら?」
言われて少女は目を丸くする。
熊野別当ではないヒノエだなんて、考えられなかった。
彼は熊野別当になるべく育てられ、その役目をきちんと果たしている。
ヒノエはそのことを誇りに感じている。
それを、熊野別当ではない彼、だなんて。
「……考えられません」
そうもらしてしまう。
「例えば、『ヒノエ』と名乗るときはある意味、熊野別当ではないわ。
ただの少年になるのよ」
彼のように、腕を組んで頭をひねってみる。
真似したからといって、何かが分かるわけではなかった。
彼が『ヒノエ』のとき。
優しくて、強い。
本質は何も変わらない。
変わらず、の特別な存在だ。
けれど熊野別当ではないということは、熊野が大切な気持ちは失われているのだろうか?
そんなことはない、と少女は思う。
実際に、熊野の行く末を案じていた。
熊野が好きなのは変わらない。
だとすれば。
「それでもヒノエさまのことは、好きです。
……たぶん」
自信なさそうに呟く。
には難しい問題だった。
熊野別当で、なかったら。
「考えておきなさい。
きっとあなたに必要なことだから」
穏やかな、包み込むような優しさを含んだ笑みを浮かべる。
この笑顔を見ると安心する。
守られているような心地がするから。
どうして、彼を想うのか。
もしも彼が、熊野別当ではなかったら。
二つの難題。
きちんと、考えていこう。
どちらもヒノエに関係すること。
ならきっと必要なことなのだ。
「一緒に考えていきましょう?」
少女の肩に手を乗せ、鳴が言う。
その言葉に目を丸くする。
一緒に?
「私はが好きなの。
だから、あなたは一人ではないわ」
どこまでも優しい声が心にしみ渡った。
胸に温かい光が灯る。
一人じゃない。
それが、こんなにも嬉しい。
「ありがとうございます」
そう、笑顔で告げることができた。
鳴の気遣いに少女は感謝する。
「ヒノエ様だって、のことを大事に思っているのよ?」
……そうなのだろうか?
「大切でなければ、優しくなんてしないわ」
「そうなら、嬉しいです。
嫌いな人と一緒にいるなんて、ヒノエさまでも嫌だろうから」
心のままを話すと、鳴が苦笑する。
「は本当にヒノエ様びいきね。
あなた自身は、嬉しくないの?」
訊かれて、思考が止まる。
自分自身?
首をかしげて、う〜ん、とうなる。
「嬉しい、んだと思います」
視線を鳴に戻して言う。
彼に嫌われているのは悲しいことかもしれない。
好かれていれば、幸せだろう。
「でも、私、烏ですから」
烏は熊野に仕えるもの。
けして、別当の特別にはなれない。
「つらい?」
心配そうに問いかけてくる。
「いいえ。役に立てる喜びがあります!」
は明るく言う。
それはとても至福なことだから。
「……何もできない方が、つらいです。
ヒノエさまは一人でなんでもしちゃうから、それが悲しいです」
少女の笑顔がくもる。
彼はいつも一人だけですべて背負ってしまう。
そんなヒノエの力になりたいのだ。
「は寂しがり屋ね」
鳴は困ったような笑みを浮かべる。
「今も、寂しいのでしょう?
彼とあまり会えなくて」
寂しい。
その言葉に、は胸の痛みの正体を知る。
後ろ姿を見ていたときの喪失感。
「そっか……。私、寂しかったんですね」
呟くと、すっと納得できる。
自分は寂しかったのだ。
胸に穴が空いたかのようなあの苦しみ。
それの名前が、やっと分かった。
「私も彼も、いつも一緒にいるわ」
だから寂しくはないのよ? と微笑んでくれる。
ああ、また心配をかけてしまった。
「ありがとうございます」
もう一度、お礼を言う。
心配させるのはいけないことのはずなのに、なぜか嬉しかった。
鳴も笑顔を返してくれる。
一人ではない。
を思ってくれる人がいる。
ヒノエも鳴も父も母も、先代や烏の仲間たち。
自然と胸が温まる。
熊野にいたら一生気づけなかったかもしれないこと。
『いろいろと学んでおいで』
父はそう言ってくれた。
京に来て、つらいこともあった。
ヒノエと離れているのは寂しい。
白龍の神子を騙しているのはつらい。
けれど、京に来なければ分からなかったかもしれない。
寂しいという気持ち。
自分を思ってくれる人たちの存在。
知ることができて良かった。
どうして、彼を想うのか。
もし彼が熊野別当ではなかったら。
答えはまだ見つからない。
少しずつ学んでいこう、と心に決めた。
まだ、知らなければならないことはたくさんある。
ゆっくりと、前に進んでいこう、と少女は思うのだった。
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ヒロインの思い込みを(多少は)除去できました!
そして鳴さんやっぱり大活躍。
ヒノエの名前については、100%妄想ですv
(2007/3/9)