二二幕 光暖
感覚が、だんだんと鮮明になっていく。
夜の冷たい空気を全身に感じる。
頭の下には、なぜか柔らかなぬくもり。
目を覚ましたが最初に見たのは、紅だった。
いつだかもこんなことがあった気がすると、ぼんやりした頭で考える。
「あ……れ? ここは……」
起き上がって、自分が寝ていた方を見る。
「やっと起きたか」
そこには腕を組んで優しげな笑みを浮かべた、ヒノエがいた。
は瞬時に理解する。
ここは、鳴と共に住んでいた隠れ家ではなく……。
「ひひ、ヒノ――」
「大声出すなよ。
人気がないっつっても、音がしたら見張りが来るかもしんねえだろ」
驚きに声を上げるの口を彼はふさぐ。
顔の前で人差し指を立て、そう注意を促した。
はこくこくと頷く。人が来たら困るのは分かりきっている。
少女が落ち着いた頃を見計らい、ヒノエは口から手を離した。
「私、寝ちゃってたんですか?」
状況から察するに、そうなのだろう。
「そりゃもう、ぐっすりと」
からかうような笑みをたたえ、ヒノエは肯定する。
忍び込んできた屋敷で寝こけるだなんて、烏失格だ。
ヒノエの指定してくれた、人の来ない納屋だったから良かったものの。
もし誰かに見つかっていたらと思うと、血の気が引く。
穴があったらそこに入って一年ほど反省していたい。
「ヒノエさまのおおお、お膝まで借りて……」
どもりながらも確認する。
起きたときに最初に見た紅は、見間違いでなければ彼の髪と瞳。
柔らかなぬくもりは、たぶん、彼の膝。
「倒れ込んできたときはビビったな」
と言うことは、自分の方からその体勢になったのだ。
「す、すみませんっ!」
申し訳なくて、思いきり頭を下げる。
声は小さめにしながらも、聞こえる大きさで。
謝っても謝っても足りない気がした。
「気にすんなよ。
それだけ疲れてたんだろ」
優しい主は、そう少女の身を労ってくれる。
だからこそ余計に申し訳なくなるのだ。
「でも、誰かに見つかってしまうかもしれない場所で……」
「オレがそんなとこ指定するかよ」
ヒノエの指摘に、は黙るしかない。
この京邸の中で一番使われることがなく、人も通らない納屋を見つけたのは彼だ。
誰かが来るかもという言葉は、それを疑うということになってしまう。
「謝るなって、前に言ったよな」
唐突に、ヒノエは話を変えた。
「へ? あ、はい」
覚えていたので返事をする。
『お前は何でもないときにも謝る癖がある』
ヒノエはそう、謝らなくてもいいのだと言った。
つい最近にも木の下で似たようなことを言われたばかりだった。
「なのに、相変わらずお前は謝るんだな」
少し不機嫌になってきていると肌で感じる。
まったく嬉しくないことに、自分は主を怒らせることが得意なのだ。
何と答えるべきか逡巡し、結局、思うままを伝えることにした。
「今回はどう考えても、私、悪かったですし」
見つかる心配がないからといって、寝ていていいというわけではない。
約束の刻限を過ぎていたのなら、なおさら時間を無駄にしてはならない。
それだけヒノエの睡眠時間を削ることになるのだから。
「もっと、でんと構えてればいいんだよ。
オレに合わせろ、ってくらいにな」
腰に手を当て、ヒノエは胸を反らす。
偉そうに見せる姿が様になるのは、彼が実際に偉いからだ。
品格も何もかも、自分とは違う。
小さな窓から差し込む月明かりがヒノエを照らした。
どこか神々しくさえ見えるヒノエに、は瞳を細めた。
「ま、お前には無理だろうけどな」
あきらめたように、ため息をつく。
少女の性格をよく知っているのだから、想像がついてしまうのだろう。
「そうですよ。ヒノエさまは私の主ですから」
主に偉そうにする僕など聞いたことがない。
烏は別当だろうと態度を改めないが、正確な僕ではないのだからそんなものだろう。
部下や僕と言うよりは、志を共にする協力者だ。
ヒノエを主と仰ぐ、自分とは、違う。
「主じゃなかったら?」
ぽつりと、少年はこぼす。
「……へ?」
言葉の意味が取れず、目を丸くする。
主では、なかったら?
「……いい。忘れろ」
言うつもりなどなかったのか、自分の口元を手でおおう。
視線が明らかに泳いでいる。
「それより報告が先だ」
「あ、そうですね」
も当初の目的を思い出し、持ってきていた京周辺の地図を取り出した。
最近では、神子の素性などを調べることはなくなった。
あったとしても、どこそこを怪我しているようだ、程度だ。
それよりも怨霊による被害がどこにどれほどあるか。
や鳴を含めた烏が探り、ヒノエが神子にそれとなく伝えていた。
自分としてもそちらの方が良心にさいなまれなくていい。
と、少女は前向きに考えていた。
実際にはそれだけ被害が増えているということでも、あったのだけれど。
「……さっきの話、なんですけど」
すべての説明を終えたは、話を蒸し返す。
ヒノエはとたんに顔をしかめた。
「忘れろっつったろ」
そうは言われても、にはどうしたって無理だった。
どんなに違う情報で頭がいっぱいになろうと、忘れることなどできない。
それがヒノエのことなら、なおさら。
自分の中で最優先になっていて、たやすく思い出せてしまう。
「もし、ヒノエさまが主じゃなくっても、大切なのは変わらないと思います。
恐れ多いですけど、幼なじみでもあるわけですし」
怒られるかもしれなかったけれど、笑顔で言った。
大切で、特別で、一番の人。
暗闇を照らす光のように、凍える体を温める暖のように。
ヒノエはずっと傍にいてくれた。
ずっと傍にいたいと、そう願う人だ。
にとって、必要な、なくてはならない存在だった。
『もしも彼が熊野別当ではなかったら?』
鳴の二つ目の問いの、解。
熊野別当でなかったら、ヒノエはをここまで気にかけてくれないかもしれない。
ヒノエがを見捨てずにいてくれるのは、彼が熊野別当で、が熊野の民の一人だから。
熊野別当という前提が崩れれば、自分に対してヒノエがどんな感情を抱くのか、まったくわからない。
それでもきっと、己の思いは変わらない。
確信に近い予感が、にはあった。
「そっか。そう……だな」
ヒノエはどこか気の抜けたような、安堵したような声をもらす。
彼にも彼なりに、思うところがあったのかもしれない。
絶対的な、完全な人間ではないのだと、今は知っているから。
素直にそう認めることができた。
「こんな答えで、良かったですか?」
分かっていながらも問えば、
「充分だ」
いつもの彼らしい、不敵な笑みが返ってきた。
彼が何を思っていたのか、少女はかけらも知らなかったけれど。
変わらない想いだけは、確かに心の内で育っていた。
前へ / 目次 / 次へ
前回から続いているお話。ヒロイン起きました。
ようやく、二つの答えが出そろいました。だからどうというわけではないんですが感無量です。
ヒロインの中でのヒノエの立ち位置が変わってきていることが伝わればいいなと思います。
(2013/4/16)