二三幕 厚志
いつものように京邸に遊びに来ていたは、望美たちと話をしていた。
「舞ですか?」
その中で話題に上がったのが、神泉苑での望美の舞だった。
「あの時の望美ちゃんは綺麗だったよね〜」
景時が感極まったような声を出す。
それだけでその時の衝撃と感動が伝わってくるようだった。
「兄上、それではいつもは綺麗ではないみたいじゃないですか」
「ああっ、ごめん!
そんなつもりじゃなくって!」
朔の鋭い突っ込みに、景時は大げさなくらいに動揺する。
その様子がおかしくて笑みをこぼせば、九郎や望美まで笑っていた。
「分かってるから大丈夫ですよ」
くすくすと笑いながら、望美は手を振り大丈夫なのだと示す。
良かった〜、と息をつく景時はとても頼朝の懐刀には見えない。
油断のならない人だと分かってはいても、つい気を抜いてしまいそうになる。
特にこういう、たわいのない話をしている時などは。
「見てみたかったです、望美さんの舞」
きっと本当に綺麗だったのだろう。
ヒノエから話は聞いていたから、演目は分かるけれど。
実際に見てみなければ、その感動は分からない。
「じゃあ、今から舞おうか?
忘れないように、定期的にやってるし」
嬉しい申し出を望美は簡単に言った。
「良いんですか?」
見てみたいとは確かに思うけれど、手間を取らせることにはならないだろうか。
遠慮がちにしているに、望美ははっきりと頷く。
「うん、もちろん!
舞扇持ってくるね」
たたっと、望美は言いながらすでに駆けだしていた。
身軽な彼女はまるで風のような存在だ。
何にもとらわれない白龍の神子は、眩しく鮮やかな存在だった。
「そういえば、お前はできるのか?」
急に九郎が話を振ってくる。
「え? 舞をですか?」
「ああ。女のたしなみの一つだろう」
当然のことのように言い放つ九郎に、景時が苦笑する。
「それは身分が高い女性に限ったことだよ、九郎」
己の常識が世間の常識。
そこまでは思っていないだろうが、融通が利かないのが九郎だ。
一本気な源氏の大将を、は嫌いにはなれなかった。
「ではできないのか」
九郎の確認に、どう答えようか迷う。
やったことがないわけではない、けれど。
どこまで正直に話すべきか。
ここはごまかすことにしようと瞳を伏せる。
「姉が、少なくとも私から見たらとても上手でした。
お偉いさんみたいにきちんとしたのじゃなかったんですけど……」
同情を引く方法は、心得ていた。
少しうつむき、言いづらそうに口ごもる。
悲しげな表情をしながらも、あくまで笑みをたたえて。
「そう……だったのか」
想定通り、悪いことを言ったと思ったのか、九郎は言葉をなくしたようだ。
「私も何度か教えてもらったことがありましたけど、才能がなかったみたいで」
まるっきりそういった経験がないのか、少しはやったことがあるのか、見る者が見れば立ち振る舞いで知れてしまう。
嘘の中に誠を混ぜる。
その区別がつかなくなるほどに。
「お姉さんは誰に教えてもらったんだい?」
「景時っ!」
「兄上!」
突っ込んだ質問に、九郎と朔の咎める声が重なった。
傷をえぐるようなものだと思ったのだろう。
そんな優しさが、ただ嬉しい。
「近所に知識人の婆やがいたんです。
教養とかもあって、どこか落ちぶれた姫さまだったんじゃって噂もありました」
ありえそうな話を作って、その場をやり抜ける。
噂などという流動的なものは、調べるにも骨が折れるものだ。
ごまかし方は、身に染み着いていた。
「そっか。つらいことを思い出させちゃったかな?」
景時はおどけて、悪気はなかったのだと言うように謝る。
「ごめんなさいね、兄上ったら配慮が足りなくて」
朔は心からすまなそうに言った。
しっかり者の妹は、しかし兄の思惑を知らない。
「いえ、平気です」
姉を亡くしながらもひたむきに生きる少女。
と、情に弱い善人は思ってくれる。
彼らとの関係は、偽りの上に成り立っているのだ。
すでには、そう割り切っていた。
******
「それで、望美さんの舞を見せてもらったんです!
もうすっごい綺麗だったんですよ!!」
感激をそのまま言葉にする。
ゆるやかな動きは、基本的だけれど要所要所が難しい。
腕の振り、足さばき。全身に神経を張り巡らせなければ、ただ冗長なだけの舞になってしまう。
それを望美はほぼ完璧に舞ってみせた。
「確かに、一朝一夕で覚えたようなもんじゃなかったな」
何度か見たことがあるのか、ヒノエも同意する。
こちらの世界に来たばかりの彼女は、どこであそこまでの動作を身につけたのか。
「ですよね。あっちの世界で習ってたんでしょうか?」
推測とも言えない憶測を口にする。
可能性としては、それが一番ありえそうだった。
朔も、もう教えられることはないと言っていたのだ。
こちらの世界に来る前から習っていたと考えるのが普通だろう。
「譲が言うには、そんな習い事はしてなかったらしいけど。
どう見ても初心者の動きじゃねえんだよな」
「不思議ですね」
では、あの動きはこちらの世界に来てから覚えたということか。
天賦の才能、というものは本当にあるらしい。
「すごいですよね、望美さん。
何でもできちゃうんですから!」
贔屓目かもしれなかったが、望美はどこか特別な輝きがあった。
白龍の神子というだけではない、何か。
人を動かす力とも、人に希望をもたらす力とも言えるかもしれない。
「なのにただの少女みたいな顔も見せるから、不思議だよな」
ヒノエも納得しきれていないような顔をする。
今まで見てきたどの女性ともまったく違うから、途惑っているのだろう。
「不思議で、すごく優しくて……良い人ですよね」
かみしめるように、言葉を紡ぐ。
望美も、朔も九郎も、分かりやすいような嘘を信じてくれている。
強い意志、綺麗な心を持つ、希有な存在だ。
がいまだに罪悪感を覚えるのは、神を騙しているからだけではなく、そういった人たちだから。
けれどどんな形であれ、彼女たちと出会い、仲良くなれたことには喜びしか感じない。
それも皆の人となりのおかげなのだから、不思議なものだった。
「お前が嫌なら、本当のことを言ったっていいんだぜ」
唐突に、ヒノエが言い出す。
「え? でも……」
少女は途惑いの声をもらすが、彼は言葉を続ける。
「今じゃもうあんま意味ねえだろ。
ただ遊びに来てんのと変わらねえ」
「確かに、そうですけど」
分かっていたことだったから、は頷く。
白龍の神子だと初めから気づいていながら、ヒノエは少女に調べさせた。
熊野神と根本から違う神を、心の底では認めたくなくて。
そんな偏見は望美や白龍を見ているうちになくなり、今では彼女たちの力になりたいと思っている。
望美と接触させた一番の理由である弁慶は、最近はに働きかけてこなくなった。
用心するほどの相手ではないと判断されたのかもしれない。
「つらいと思ってんのは、聞いたし、知ってる。
後はお前次第だ」
最終的な決定権をゆだねられる。
少女の主は頭から決めつけることをあまりしない。
部下の意見も、こうやって尊重してくれるのだ。
優しさに、胸が温かくなった。自然と笑みがこぼれる。
「私、ヒノエさまの信頼が、ちょっとでもなくなるのが嫌です」
聞いてくれると知っているから、素直な思いを口にできた。
「気にすんのなんて源氏の奴らくらいだ」
「それでも、です」
ヒノエの返答にも、かたくなに意志を曲げない。
ほんの少しでも、たとえ彼が気にしなくても、重荷になりたくはなかった。
「ずっと騙し続けてて、つらいんだろ?」
そう言うヒノエの方が苦しそうな顔をしている。
命じたことを、悔やんでいるのだろう。
自分ではない他人の痛みを、分かってくれる人だった。
「でもヒノエさま。
私、思ったんです」
納得してもらうために、少しだけ話を変える。
「望美さんと一緒にいるときは、ただの女の子なんだって」
一人の少女として、望美と仲良くなった。
同情からでも何でも、優しくしてくれるのが嬉しかった。
彼女の心の片隅にでも、自分が存在しているのが、嬉しかった。
「って烏名で呼ばれることの方が、私、少なかったんですよ。
烏の皆さんからも名前で呼ばれてましたし」
ヒノエが己の名に縛られているように、も知らぬ間に『』という名に縛られていた。
彼女たちに『』と呼ばれ、『』として接してきて、そんな気がしてきたのだ。
「一人の『』として、今は望美さんたちといたいかなって。
このままでも充分なんじゃないかって、思うんです」
このままで、自分は充分幸せだと。
望美たちと結んだ偽りの上でのつながりに、満足しているのだと。
今の自分の心からの笑顔を見せて、分かってもらいたかった。
「……まったく」
ヒノエは声を詰まらせ、それからため息をつく。
「お前は、ホントーに欲がねえよな」
しょうがないヤツ、とでも言いたげな苦い笑み。
はきょとんと目を丸くする。
「そんなことないです。
欲張りで、わがままですよ、私」
ヒノエとずっと一緒にいたいと思ったことが、その最たるものだ。
本来なら許されないこと。彼は簡単に約束してくれたけれど。
望美とこのままの関係を続けたいと言ったのも、ただのわがままでしかない。
「自分が分かってねえんだ、お前は。
……だから、放っとけない」
人に聞かせるためのものでなく、自分に言い聞かせるための呟き。
その言葉の重みを、はまだ知らなかった。
関係にも、幸せにも、様々な形があって。
どんなにいびつであっても、少女にはそれが、大切なものだった。
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ヒノエもまだまだ若造なので、後悔だってするのです、ということで。
対してヒロインは住めば都というか、現状に満足するのが得意です。
格好いい(ちょっと黒い)景時さんを書きたかっただけの回でもあります(笑)
(2013/06/21)