三幕 旅路




 唐突に決まった旅ではあったけれど、は前向きに考えることにした。
 初めての、京。
 鳴がいるはずの京
 楽しみでないはずがない。
 もともと熊野からあまり出たことのない少女は、うきうきと旅支度を整えていた。
「えっと、荷物は最低限にしろって言われたから……」
 道中はつらい山道。
 大きな荷物を持って山を越えるのはとても大変だ。
 と、仏頂面をしたヒノエが教えてくれた。

? 入るぞ」
「あ、はい!」
 父の声が聞こえて、少女はあわてて答える。
 雁堆が入ってくると、空気が張り詰めたような感覚がした。
 まるで、細い細い糸を力一杯引いたかのような。
 先代に仕えていた優秀な烏。
 その威厳に辺りの気までが恐れをなして姿を変える。
 は慣れていたので、にこりと笑いかけた。
「あの坊やと、京に行くそうだな。
 先代から聞いたよ」
 あの別当を『坊や』と呼べるのは、父くらいだろう。
 今だに頭が上がらないと彼がぼやいていたのは、ついこの間のことだった。
「はい、父さま」
「いいことだ。
 京は素敵な場所だよ。
 ただ少し、陰気くさくて堅苦しいところもあるがね」 
 過ぎし日を思い返しているのだろう、ふっと笑って言った。
 目元を和ませると、幾分か優しそうに見えた。

「いい機会だから、色々と学んでおいで」
「はい」
 雁堆はいつも、助言をくれる。
 手を貸すのではなく、その者に必要な言葉を。
 つまり自分は世間知らずなのか、と思い頷いた。
は優秀な子だ。
 お前なら出来る」
 この人の期待に応えたいと感じさせられる何かが、雁堆にはある。
 だからは、頑張ろうと心に決めた。


 ******


「別当さま別当さま!!
 早く行きましょう!」
「……お前はいつでも元気だな」
「それだけが私の取り得ですから!」
 次の日の朝、二人は山道をひたすら歩いていた。
 始めこそ元気一杯だっただが、荷物を持ったままの道のりは思った以上につらかった。
 ふいに、ヒノエが手を差し出す。
「水が欲しいんですか?」
「違う。ほら、荷物よこせよ」
「へ?」
 思わず声を上げてしまう。
 彼はもちろん自分の荷物を持っていて。
 それでさらにのも持つということは……。

「駄目です! 別当さまが大変になっちゃいますよ〜!」
 はよいしょ、と荷物をかつぐ。
 それほど重いわけではなかったが、長時間肩にかけていると痛くなってくる。
 けれど、手に持っていると疲れてしまう。
 先程から自分の足元がふらついていることに、少女は気づいていなかった。
「持つって言ってんだろ!」
 無理矢理取り上げられて、は半泣きになる。
 面倒をかけたいわけじゃないのに、いつも自分は邪魔ばかりしている。
 今回だって、ヒノエは嫌だと言っていたのだ。
 『足手まといになる』と。
 それなのに……。

「何、暗い顔してんだよ。行くぞ」
「あ、はい!」
 先に行ってしまっていた別当に、はあわてて走って追いつく。
 二人分の荷物を軽々と持っているのは、性別の違いか、経験の差か。
 ふと、不思議な気持ちにとらわれる。
 この人はこんなに大きかっただろうか?
 いつも追いかけていた背中は、こんなにも広かっただろうか?
 もともと小柄なには、少年がとても大きく見えた。
 不安になる。
 先に行ってしまうのではないかと。
 自分は置いていかれてしまうのでは、と。

「待ってください!」
 は叫ぶ。
 心からの思いだった。
 一人ぼっちになるのは、嫌だった。
「待ってるから、早くしろ」
 振り向いてそう言ったこの人は、分かっていないのだろう。
 己の言葉の重要性を。
 背中ばかりを見つめていた自分。
 けれど彼は待っていてくれる。
 それが、とても嬉しかった。

 いつのことだっただろうか。
 差し伸べられた手のぬくもりに、とても安心したのを覚えている。
 それは、この人にならどこまででもついていけると思っていた、幼いときのこと。
 今は…………よく分からなかった。

「別当さま。私、お邪魔ですよね」
「邪魔になったらすぐ置いてくから、安心しろ」
 すました顔で答える赤髪の少年は、本気のように見えた。
 そうならないように気をつけようと思ったは、ふと気がつく。
 彼はそんなことはしない。
 もし邪魔になったとしても、絶対に見捨てない。
 優しいからこそ、見捨てることが出来ない。
 それに何度も、何度も助けられてきたではないか。
 先ほどは何を不安になっていたのだろう。
 もし先に行ってしまっても、彼は待っていてくれる。
 置いていかれてしまっても、戻ってきてくれる。
 そのことに、は安心した。
「別当さま、私、がんばりますね!」
 せめて足手まといにならないように。
 置いていかれたら待っていられるように。
 そしていつかは、彼を助けることができるように。
「せいぜい空回りしないようにな」
 忠告ですら、温かく聞こえる。
 彼が火の気をまとっているせいか、それとも人間性なのか、少年はとても温かく優しかった。

「私、精一杯、がんばりますから……」
 だから、少しは頼ってくださいね?
 とは言えなかった。
「一体何をがんばるつもりなんだ?」
 不思議そうに問われて、は目を丸くする。
「……考えてませんでした」
「馬鹿だろ」
 本当のことだったので反論はできなかった。

 何をがんばるのか。
 目標ならある。
 彼を守ること、だ。
 そのために何をしたらいいのか、まだ子どものには分からなかった。

「とりあえず、俺についてこい。
 それなら間違いないだろ?」
 言われて、は顔を上げる。
 そこには自信満々な笑み。
 この人にならついていけると、思えた。

「はい!」
 は元気に返事をした。



 ついていこう、そのためにがんばろう。
 いつか彼の役に立てるように、今は努力をしよう。
 それが少女の一番大切な気持ちだった。








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 ヒノエを『坊や』と呼ばせたくて、前半を書きました(笑)
 がんばろう、と思う少女。
 ……努力してる女の子が好きなんです。
(2006/10/7)