六幕 京華




 京にもぐりこんで十数日。
 この日も明け方からは元気だった。
 早寝早起きが少女の基本。
 今は五条からの帰りだった。
 この地に来てからは、朝一番に街の様子を見にいくのが習慣となっていた。
 ヒノエに言われたわけではなく、自分から何かしたいと考えたためだ。
 彼も、小刀を隠し持つことを条件に承諾してくれた。
 具体的にできることがあるのが嬉しかった。



 小屋に戻ると、ヒノエはもう起き上がっていた。
「おはようございます、ヒノエさま!」
 は勢いよく礼をする。
「ああ」
 ヒノエは軽くこちらを見て、そう答える。
 ごく普通の朝の挨拶。
 けれど熊野ではありえなかった、一番目の朝の挨拶。
 起きて初めての『おはよう』は父か母。仕事中なら烏仲間。
 それが当たり前で、これから先もずっとそうだと思っていた。
 けれど、他ならぬヒノエに言うことができる。
 幸せで少女の頬が自然とゆるむ。

「何か新しい情報は?」
 話をふられ、我に返る。
「あ、はい!
 怨霊が出るって言ってる人が、またいました」
 そのまま、見聞きしてきたことを話す。
 今日回ってきたのは、五条大橋周辺。
 寂れた様子のぬぐえない、置き去りにされたような集落。
 怨霊が、多くは薄暗くなる頃に現れるという話。
 どこも被害は少なからずあったものの、あの辺りは通常よりもひどいらしい。
 そして……。

「弁慶先生、か」
 ヒノエが吟味するように言う。
「あの武蔵坊弁慶で間違いないみたいです」
 そこはきちんと確認をとった。
 先代の弟、武蔵坊弁慶。
 随分昔に源九郎義経の家臣となったことは分かっていたので、都入りしたであろうと思ってはいた。
 今さら、彼に用があるということはない。
 ただ問題が一つ。
「白龍の神子と行動を共にす……ねえ」
 ヒノエは面白いものを見つけたかのように口の端を上げる。
「外見の特徴が一致するんです」
 言って、広げていた鳴からの書状の一文を迷いなく指し示す。
 そこに記されていることは。
 『腰までの垂らし髪。奇妙な膝上までの衣装に、見知らぬ履き物』
 白龍の神子とされる女人の姿。
 記憶力のいいは、内容をすべて暗記していた。
「一緒に薬を配ってたらしいですよ」
 口々に教えてくれた人たちは、みな笑顔だった。
 心から感謝していることが良く分かった。
 神子だとは知らなかったようだが、可愛らしい娘と言われていた。

 はふと気になる。
 どんな女性なのだろう?
 密かに姿を盗み見、後をつけたことしかなかった。
 謎の多い彼女に純粋に興味を持つ。
 ……会って、話をしてみたい。
 無理であることは、分かっているけれど。

「源氏に拾われたってんだから、接点はある。
 梶原んとことも交流はあったようだしな」
 行動を共にしていてもおかしくはない、とヒノエは確かめるように呟く。
 白龍の神子の京での住みかは梶原邸。
 黒龍の神子と言われている女性が梶原の家の者だということが関係しているのだろう。
 家主であり黒龍の神子の兄である戦奉行・梶原景時も、白龍の神子と一緒にいたという話を、昨日聞いた。
 最近、源九郎義経が頻繁に出入りしていることから、神子は彼とも面識があると考えられる。
 自然と、龍神の神子の周りにいる者らが浮き彫りになってくる。

「神子姫様、ね……。
 一度、会ってみるか」

 淀みなく発せられた言葉に、心を読まれたのかとぎくりとする。
 ヒノエはそんなを訝しく思ったのか軽く眉をひそめ、続けて口を開く。
「どの情報にも確証がない。
 無闇に信じることはできねえし、直接話せば分かることもあるだろうしな」
 なるほどそういうことか、と納得する。
 さすがはヒノエだ。
 自分のように興味本位などではなく、きちんとした考えがあってのこと。
 今のままではどうにも動きがとれない。
 京の様子は大体つかめてきた。
 龍神の神子の噂も耳にすることができる。
 けれど、それだけだ。
 尊い身の上である熊野別当がわざわざ京に訪れただけの収穫がない。
 本人と話をする機会があれば、違う道がひらけてくるはずだ、ということだろう。
「話すって、どうやってですか?」
 気になったことをそのまま訊いてみる。

「一般人を装って、な」
 当然のようにヒノエはそう答える。
 はなんだか腑に落ちない。
 彼は、どんな格好をしていても人の目を引く。
 良く言うと、魅力的。
 つまりは、悪目立ちする。
 とても一般人には思えないだろう。
「女性に声をかける常套手段は何だ?」
 少年はにやりと口端をゆがめ、機嫌が良さそうに言う。
 主の表情にはやっと言葉の意味を知る。
「たらし込むんですね?」
 分かったことが嬉しくて、笑顔で確認してしまう。
「まあ、そういうことだな」
 ヒノエは肯定するように相づちをうつ。
 それならば、目を引く外見は逆に有効だ。
 姿形の整った彼に、普通の女性ならば心奪われることだろう。
 ヒノエにはそれだけの魅力があるのだから。
「良く外に出てるみたいだから、接触は難しくないな。
 問題は、周りの奴らか……」
 腕を組んで首をひねる。
 遠くを見据えるかのように目を細め、ヒノエは口を開く。

「ま、まだ先の話だな」
 空気がふっと軽くなる。
 話し合いはこれで終わりだ、と感覚で悟った。
「とりあえず飯、食うぞ。
 今日は……市にでも行くか」
 その言葉には笑顔で頷いた。


 ******


 六波羅の辺りはあまり活気がない。
 だからこそ隠れ住むに適しているのだが、物を揃えるためには少し遠出しなければならない。
 そのために二人は今、街で開かれる市に来ている。
「人がたくさんですね、ヒノエさま!」
 元々、は賑やかな場所が好きだった。
 活気がある方が気分も明るくなる。
 静かでのんびりと落ち着けるところと、同じくらい大切に思っていた。
「当たり前だろ」
 そう言いつつも、ヒノエも機嫌が良かった。
 悪くはないと思っているのだろう。

「――きゃっ!」
 前方で女性が転ぶ。
 ヒノエが素早く駆け寄り、手を差しのべる。
「大丈夫かい、お嬢さん。
 足元には気をつけないと、せっかく天が与えてくれた美貌が傷ついてしまうよ。
 もちろん、そんなことはオレが許さないけどね」
 片目をつぶって優しく囁きかける彼に、女性はのぼせ上がっているようだった。
 相変わらずヒノエは心優しい。
 困っている者や助けを必要とする者を放っておけない気質なのだ。
 それにも何度も世話になっていた。
「立てるかい?」
「は、はい。……その、ありがとうございます」
 助け起こされた女性は頭を下げる。
「麗しい天女の目に一瞬でもとどまれたのだから、こちらこそ礼を言いたいくらいだね」
 にとっては、めずらしい光景だった。
 熊野別当としての彼は部下に、時に厳しく時に優しく接していた。
 失敗をしたものには容赦のない叱責が飛ぶのが当たり前だった。
 ヒノエはその後にいたわりの言葉をかけて、先代に『甘い』といわれることもあったが。
 とにかくヒノエは部下――特に危険な任務をになう烏には、つらく当たることも多かった。
 けれど彼は、本来とても気配り上手でお人好しだ。
 部下から慕われているのはそのためでもある。
 特に、女性に対して紳士的であった。
 共に町に下りたときに何度か見かけた、ヒノエが女に声をかける姿。
 烏にも女性は当然いるが、明らかに態度が違う。
 まず言葉使いが変わり、言葉選びまでもまるっきり変わる。
 俗に『口説く』というらしいのだが、幼い少女はいまいち理解できていなかった。
 だからは少し離れたところから、思わずまじまじと聞き入ってしまうのであった。

 女性が去るのを見送るヒノエを見ながら、少女は感嘆の息をつく。
「ヒノエさまって、やっぱりすごい……」
 何がどうすごいのかと訊かれても返答に困るが、とにかくそう思った。
 女の姿が完全に見えなくなってから、彼はを振り返る。
「行くぞ」
「あ、はい!」
 そう言って先に進んでいってしまうヒノエの後を追う。
 
 前を歩いていた彼がふいに立ち止まる。
「……おい、手え出せ」
 思いついたかのように言う。
「へ?
 あ、はい」
 言葉の意図は分からなかったが大人しく従う。
 両手を彼の前に出すと、その上に銭を落とされる。
 軽く一食分ほどの貨幣に、少女は首をかしげる。
「これで好きなものを買っていい」
「い、いいんですか?」
 世話になった者などに、多少の賃金を渡すことは珍しくない。
 けれどは、何もした覚えはない。
 自分が貰ってもいいものなのだろうか?
「ああ」
 ヒノエは簡単に頷く。
「えっと、ありがとうございます!」
 買い物ができるというのが嬉しかったので、笑って礼を言った。


 必要な食料などを揃えながら、小さな出店も見て回る。
 さんざん迷ったあげく、はおいしそうな焼き菓子と綺麗な紙を買った。
 菓子は日持ちのするもので、いつかヒノエと食べれればいいと考えて。
 紙は薄紅色で、不思議と目にとまったのだ。
 夕焼け空のような曖昧な色合いが、とても綺麗だと思った。
 烏という役職上、文をしたためることもあるだろうと理由をつけて、買った。
 余った銭を返すと、ヒノエが一言。
「なんだ、かんざしとかは買わなかったのか」
 言われて、は目を丸くする。
「か、かんざしですか!?
 私にはもったいないですよ〜!」
 かんざしや帯飾りなどの装飾品は、身分が高いか裕福な女性がするもの、という観念があった。
 自分にはどう考えても不釣合いだ。
「いや、前に見てただろ。
 欲しかったんじゃないのか?」
 それで……と、は思わず瞳を見開く。
 この主は少女のことを考えてくれていたのだ。
 本当は彼だけで来るはずだった京。なぜか自分を連れていかなければならなくなった。
 ヒノエは湛快に言った。『足手まといだ』と。
 だというのに、そう決まってからに文句を言うことなどはない。
 そしてこうやって、いつも気づかってくれる。
 一つ一つの優しさが、の中で宝物となる。
 いつか彼への感謝の気持ちで体中がいっぱいになってしまいそうだと、おかしなことを思う。
 それはとても素敵なことかもしれなかった。
「綺麗なものは、見てるだけで楽しいですから♪
 私には似合いませんよ!」
 と、笑顔で言うと、
「そうかもな」
 ヒノエはにやっと笑って少女の頭に手を乗せる。
 こうして、笑い合える喜び。
 幸せ。
 熊野でも、京に来ても、彼はそばにいる。
 変わらず満ち足りている、と感じた。



 彼がいるからこその幸せ。
 もし、彼がいなくなったら――?
 このときの少女が、この問いなど考えるわけがなかった。








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 口説き文句、こんなんでいいんでしょうか?
 慣れていないせいで、良く分かりません(笑)
 むしろヒロイン口説かないヒノエって……。
 まあ、気にしません
(2006/10/20)