着替えます
「うら、お前らさっさと着替えろ」
将臣は服の入っていた紙袋を逆さにして中身をぶちまけ、説明もそこそこに言った。
もちろん皆、どう着るかなど分かるはずもなく、困っている。
やれやれとは譲と目を合わせて苦笑した。
二人とも兄の手助けはお手の物だ。
皆に適当に服を見繕って渡して回り、簡単に着方をレクチャーする。
景時や弁慶は興味深げで、物覚えが良く助かった。
ヒノエなどは「もちろん姫君が手取り足取り教えてくれるんだろ?」と少女の手を取り、将臣にど突かれていた。
何か言おうとしていた九郎には、
「これくらい分かりますよね?
変なふうに着てたら笑ってあげますから」
とにっこり嫌味を忘れずに、ベージュのパーカーと共に押しつけた。
「皆が着替えてる間に夕飯を作っておきますね」
白龍に教え終わった譲がそう言ってキッチンに向かう。
「わ〜い♪」
「先輩はこっちで食べるなら家に連絡しておいてください」
はしゃぐ望美に譲は少し嬉しそうに、けれど努めて冷静に返す。
本当にかすかな変化だが、から見てみれば分かりやすいことこの上ない。
確かに料理人にとって食べる人の笑顔は嬉しいだろうが、それだけではないことも確かだ。
望美自身が気づいてないのが不思議なくらいだけれど、彼女がその手のことに疎いのだから仕方がない。
そしてと同じように苦笑した弁慶や景時や朔、面白いものを見るように笑っているヒノエなどは、恐らく兄の想いを知っているのだろう。
「分かった。ちょっと行ってくるね。
ちゃん、朔をよろしく!」
そう望美にぽんと背中を叩かれ一瞬途惑うが、すぐに笑顔を作る。
きっと彼女なりの気遣いなのだろうと思って。
「うん、りょーかい」
「じゃまた後で!」
元気な声を残して望美はリビングを出ていった。
すぐにがっちゃんとドアが閉まる音。
嵐のようだと言えば彼女な否定するだろう。
けれど譲の心を掻き乱すと言う点では間違いではないかもしれない、と考えて一人で恥ずかしくなった。
「とりあえず、朔さんは私の部屋でいいですか?」
気分を入れ替えるように朔を振り返って首をかしげる。
単髪の女性は優雅に笑んで、頷いた。
「ええ、お願いするわ。
それと、無理に敬語を使わなくてもいいのよ」
朔は付け足すように、くすくすと上品な笑みをこぼした。
「……ばれました?」
その自分との差に何だか恥ずかしくなって、少女は舌を出す。
甘やかされて育ったは敬語に慣れていなかった。
学校でも先輩にうっかりタメ語で話しかけて笑われてことがあった。
三年生になって一番喜んだのは、敬語を使う相手が先生だけになったことだったくらいだ。
「こいつらに気ぃ使うことねぇぞ、」
将臣が手近にいたヒノエの頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。
何すんだよ、とむくれたヒノエは年相応に見えた。
「お兄ちゃんは少し気を使った方がいいと思う」
あはは、とは減らず口を叩く。
将臣は誰に対しても自分のペースを崩さない。
それはあちらの世界でも変わらなかったらしい。
羨ましいような気もするが、は兄のようにはなれないだろう。
「じゃあ朔さん、……むしろお姉ちゃんって呼びたいくらいなんだけど。
さすがにここじゃ着替えらんないし、私の部屋に案内するね」
つい本音をこぼしながらも、は朔に普段の言葉遣いで言った。
ふふ、と楽しげに微笑んだのを肯定と受け取り、リビングを出る扉へと向かう。
戸を開いて朔を先に出し振り返って、「じゃあね」と中の皆に声をかけた。
なぜか目が合った着替え途中の九郎に思いっきりあっかんべをしてから、は自分の部屋へと向かった。
階段を上りにくそうにしている朔を見て、本当にこちらの世界の人ではないのだと不思議に思う。
平安末期の、源平合戦の時代に行って、帰ってきた三人。
だけが何も知らずに、今日を過ごしていた。
女性に手を貸しながらも、どこかいたたまれないような、申し訳ないような。
そんな複雑な感情を持て余していた。
「ごめんなさい。
いきなり大人数で、迷惑ではないかしら?」
が部屋のドアを開いて招き入れると、朔はすまなそうに言い出した。
少し考えてから少女は口を開く。
「確かに驚いたけど、賑やかで嬉しいな」
にこっと笑いかけて、は言う。
あんなに個性あふれる人たちがいたら退屈しなさそうだ。
大変なこともあるだろうが、それも楽しみだと感じた。
「そう言ってもらえると助かるわ」
安心したように朔は表情を和らげる。
「……と呼んでも、いい?」
「うん! もちろんだよ!」
当たり前、とばかりに大きく頷いた。
確認するのが彼女らしい、と付き合いが浅いのに思った。
「よろしくね、」
穏やかに朔は右手を差し出してくる。
握手、だ。
「こちらこそよろしく!」
その手を自分の手で握り、は笑いかけた。
「まず下にこれを着てから、この服を着るの」
望美の家から持ってきたらしい下着を袋から出し、手渡す。
朔は一度教えればその通りに着れる優等生だった。
「朔さんって……スタイルいいんだ」
「え? 何かしら?」
思わずもらした呟きに返事があったことにびっくりして、はすぐには反応できなかった。
「あ、女性らしい体つきってこと、かな?」
朔でも理解できるようにカタカナを日本語に言い換える。
あまり自信がなかったために疑問形になってしまった。
「あら、ありがとう。
も可愛らしいわよ」
ほのかに喜色を浮かべた笑みは綺麗で、は一瞬見惚れてしまっていた。
本当に『お姉さま』って感じだ。
なんて阿呆なことを少女は本気で考える。
「あ、ありがと」
言われ慣れていない言葉というわけではなかったが、完璧な微笑みの前ではうまく返せなかった。
彼女と自分とでは、血統書つきの猫と野良猫のような、明らかな差があるような気がしたから。
「将臣殿よりは譲殿に似ているかしら?
知的なところもそっくりね」
九郎を口で負かしたことを指しているのか、くすりと楽しげに笑う。
「やっぱり兄妹で似ているのね。
今日、初めて会った気がしないもの」
その言葉に動きを止めたを、朔の優しげなまなざしが包み込む。
嬉しい、と思う気持ちともう一つ。
少女の胸に薄い影を落とす感情が生まれた。
「……あ〜、私ってば皆に気を使わせてばっかりだね」
駄目だなぁ、と苦笑いをこぼす。
買い物ついでとはいえ迎えに来てくれた譲。からかうヒノエを止めてくれた敦盛。混乱しそうだったを支えてくれたヒノエ。
小さな、しかし確かな気配り。
望美が朔を頼んだのだって、将臣が大仰に振る舞っていたのだって。今の朔の言葉だって。
本人が意図していなかったとしても、自分を気遣ってのことだ。
ともすれば皆から取り残されてしまいそうなを思っての。
あちらの世界で、彼らは仲間として絆を深めてきた。
その中にが入り込めたのは、他ならぬ皆の配慮があったため。
会ったばかりの彼らをが快く迎え入れられたのは、皆がいい人ばかりであったから。
だから、余計に申し訳ない。
自分は何も返せないというのに、甘えている。
そう、は感じていた。
「そんなことを気にしていたの?
おかしな子ね」
困ったような、けれど嬉しそうな笑顔で朔は続ける。
「は知らないでしょうけれど、先ほどの九郎殿との口論、あちらにいた時の望美とそっくりだったわよ」
思い返しているのか、懐かしそうに視線が宙を舞う。
の知らない事実に思わず「へ?」と間抜けな声をもらしてしまった。
「二人もいつも何かと喧嘩をしていたわ。
それを止めるのは弁慶殿や兄上や、私で。
たまにリズ先生が口を開くとぴたりとやめたの」
はその様子を思い浮かべてみる。
あの二人なら確かに年中喧嘩していそうだ。
「九郎殿とのやり取りを聞いていてそのことを思い出したわ。
まあ、の方が頭脳派ではあるけれど。
きっと皆も、そう感じたのではないかしら?」
優しく諭すように、少女の瞳を覗き込む。
穏やかな光を灯した飴色の双眸は慈しむような温かみがあった。
「望美ちゃんに似てるから、気にしなくていいの?」
そんなのは嫌だった。
はであって望美ではない。
重ねられてもいずれ違いに落胆されるだけだ。
「違うわ。もうすでに、気を使うような間柄ではないと言うこと。
これだけ打ち解けているのだもの。
そんな必要もないでしょう?」
ね? と言い知れない説得力のある笑顔。
は思わずコクコクと頷いてしまった。
「朔さんって、すごい」
は素直に称賛を送る。
少しくもっていた心が嘘のように晴れ晴れしていた。
「そういうのはお手の物よ。
望美も変なことを気にしていたもの。
譲殿に甘えすぎではないだろうか、とかね」
朔は楽しげにそう言った。
そこに含まれるからかいに、は仕方ないよと苦笑する。
「何と言うか……望美ちゃんも鈍いよね。
結局は両想いなんだから」
あの二人を見ていれば自然と分かることだ。
望美は無意識に譲を頼っているし、譲は条件反射的に望美を気遣っている。
知らぬは本人ばかりなり。
恋に奥手な二人が無事に結ばれるのは、まだまだ先になりそうだ。
せめてそれまでは今のままの関係でいたい、と少女は密かに思った。
「でも、驚いたわよ。
九郎殿を簡単にやり込めてしまうなんて」
「それは……」
朔はくすくすと思い出したように笑い出す。
どう返していいのか分からず、は口ごもった。
「大人しい子かと思えば、意外と突拍子もないところもあるのね。
あなたの美点だわ」
にこりと完璧な笑顔を向けられる。
「褒められてる気がしないよ、朔さん」
うう、とうなだれて呟く。
それでは自分は爆弾少女ではないか。
もちろんそんなキャラではなく、ご近所では「良くできた子」で通っている。
学校でも第一印象は「落ち着いてる」だったと聞いたことがあった。
「あらごめんなさい」
悪びれることもなく、朔は謝る。
この人には絶対に敵わない、とは思った。
「けれど、九郎殿も悪気があったわけではないと思うの。
少し迂闊なところがあるだけなのよ」
九郎をかばうような朔の言にはむっとする。
まるで自分が悪者みたいではないか。
「あれは迂闊すぎだよ。
もうちょっと人の気持ちも考えてほしいな」
腕を組んで、ぶつくさと文句を言う。
子どもだと侮られたのがとっても頭に来た。
年功序列の精神はも分かるし、亀の甲より年の功と言うことわざもある。
けれどそれは親や祖父母ほども年の離れた人に限ったことだ、と少女は考えていた。
たった数年で学べることなどたかが知れている。
「きっとあなたにも分かるわ」
と、朔に朗らかに言われて、
「…………」
は押し黙るしかないのだった。
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今まで現代組と熊野少年以外はあっちの格好のままでした。
そう考えるとなんだか笑いがこみ上げて……。
朔は絶対お姉さまですよね! こんなお姉ちゃん欲しいっ!!
(2008/12/24)